オステオパシー医学は1874年にA.T.スティル医師により発表された「手で行う医学」である
オステオパシーは1874年にミズーリ州カークスビルでアンドリュー・テイラー・スティル医師により発表されました。
医師であったスティルだが、自分の子供4人を髄膜炎で亡くし、自分が学んできた医学では子供を救えず、当時の医学に対し憎しみの念を抱きました。
その後、解剖学、生理学を研究し直し、新たな視点で本当に安全な医学を作り直そうとスティルは考えました。
医師であったスティルでしたが、4人の息子たちを続けざまに流行性の髄膜炎でなくし、自分の子供たちを守れなかった当時の医学を憎みました。
そして長年にわたって様々な民間療法を学び、解剖学や生理学を学び直しながら、それらの長所をまとめ、本当に人間の健康生活を守るために必要な手で行う医学を作る必要があると考えました。
身体は安全な薬を作り出す
1870年代当時の医学は、ヒ素や水銀など体に毒である薬が用いられたり、必要な血を抜く瀉血療法などもあり、非常に危険なものまでありました。
スティルは敬虔なクリスチャンであり、信仰の観点からも、医学は真に安全であるべきであり、患者を危険な目にさらすようなことがあってはならないと考えました。
スティルは神が創りたもうた人間の肉体には、自分の体を治すための薬剤庫が備えられていて、必要な薬をつくり出すと考えました。
しかし多くの人が病になるのは、何らかの理由によって、その薬がうまく働かないようになっているに違いないと考えるようになりました。
病人たちの体を調べていくと、体の歪みがあったり、硬くなった筋肉や、動きの悪くなった関節、過去に骨折したことによる体の歪みなどを持っている人がいて、その人たちは何らかの痛みや症状を持っていました。
そこでスティルが固まった筋肉をほぐし、関節の動きを改善するように手技を施していくと、血行が改善され、痛みがなくなったり、不快な症状が消えていくのを目の当たりにしてきました。
当時の医学で使われていた薬よりも、体の中には自分の体を直そうとする力があり、何らかの薬のような物質を身体は生産していると言うことに、より確信を持っていきました。
スティルが考えた理論
- 身体は自ら治ろうとする(免疫力を持っている)
- 血液循環は最も重要である
- 身体は頭から足先まで全て繋がってる一つのユニットである
- 構造と機能は相互に影響しあっている
1800年代後半の医学においては、まだ免疫学は十分に育っていませんでした。しかしスティル医師は、血液の中に病気と闘う物質が含まれていて、血液循環が全身の隅々まで行き渡れば病気は自然と治っていくと考えました。
身体は全部つながっている。
ある部位の血液循環の低下は、血液の淀みを作り、淀みは発酵し腐敗する。
腐敗した血液が少しずつ身体をめぐり、全体的な体の弱さを作っていく。
新鮮で健康な血液が全身に行き渡る事が最も重要なのだと考えました。
オステオパスは血液が身体を治す事を知っている
スティルは、オステオパス(オステオパシーを行うセラピスト)とは何か定義しました。
「オステオパスは血液が身体を治す事を知っている。血液が傷んだ組織を修復する。身体の隅々にまで新鮮な動脈を巡らせ、静脈血が滞りなく心臓に戻るようにし、体が自ら治すように仕向ける。血液の重要性を知り、それを元に体を治す方法を知っているのが真のオステオパスである」
Andrew Taylor Still “Research and Practice “
オステオパシーは血液循環を高める事を主眼とし、身体中至るところを調整する技術を開発してきました。
そして、身体に自ら治させる事、それが重要なのだと常に説いていました。
オステオパシーは哲学である
スティル医師は、身体の構造(解剖学)を重視しました。骨格、筋肉、脳、神経、血管、リンパなど様々な構造の作りとまた、身体がどうやって自身を治そうとするのか、その仕組みを考え続けなさいと言われました。
オステオパシーはただ単に痛みをとったりするだけでは無く、問題の原因を探ること、構造や機能を深く理解していく事、医療における哲学なのだとスティル医師は説いていました。
オステオパシー大学を開校
スティルが提唱したオステオパシー医学を体験し自分も習いたいと志願してくる人々が増え、1892年、イリノイ州カークスビルにオステオパシー大学を設立しました。
オステオパシーはその後、世界に広がり、現在ではイギリスやフランスなどヨーロッパの主要国、オーストラリアやニュージーランド、カナダ、中南米の国々などに広まっています。
アメリカではオステオパシーは医師資格
現在、アメリカではオステオパシー大学は西洋医学と共通した医学教育を必須とし、アメリカの医師免許を取得できるようになっています。通常の西洋医学の医師はM.D.(Medical Doctor)と呼ばれ、オステオパシー医師はD.O.(Doctor of Osteopathy)という称号です。
各国のオステオパシー教育
欧米諸国ではオステオパシーはかなり広まっています。
各国でそれぞれの国の制度の中でオステオパシーの専門教育を受け、手技療法のスペシャリストとして活躍できるようになっています。
教育期間はまちまちですが、3年から6年程度が標準となっているようです。
頭蓋オステオパシー、内臓オステオパシー他
その後、スティルの元で学んだ学生たち、その弟子たちが更にオステオパシーの裾野を広げていきました。サザーランドD.O.が開発した頭蓋オステオパシーや内臓オステオパシーの発展に貢献したJ.P.バラル先生などが有名です。
日本でのオステオパシー教育
ここ日本でも専門的オステオパシー教育を学べる学校もできています。
石原が卒業したスティルアカデミージャパンは中でも信頼できるクォリティを持った学校です。フランス・リヨンから2ヶ月ごとに教師が来日、4日間の授業を行います。
年6回、5年間のカリキュラムです。大量のデータ、教材が与えられます。
4日間の内容をすぐには理解できません。学生は日々自主的に復習を行ったり、技術の練習会を行っています。