ビオラ・フライマンD.O.(〜2016)は頭蓋オステオパシーを開発したサザーランドD.O.から直接学んだ生徒の一人で、世界的に知られるようになった小児専門のオステオパスでした。
フライマン先生の評判は海を越え、世界中から障害を持ったお子様が集まり、フライマン先生の素晴らしい治療を受けにきていました。
私もフライマン先生のクリニックを見学しに行った際(2005年と2006年の2回、5日間ずつ計10日間)、朝から晩までフライマン先生の施術を見学させていただきましたが、日本からだけでなくアジア、ヨーロッパや南米からもお子様たちが集まって来ていたのを覚えています。
Osteopathic Center for Children
フライマン先生はお子様の生命を救う事に焦点を置かれ、カリフォルニア州サンディエゴにOsteopathic Center for Childrenを創設しました。
我が子を亡くした悲しみ
フライマン先生ご自身が若い頃、まだ幼いお子様を亡くしているそうです。お子様を失った後で頭蓋オステオパシーと出会い、学び始めた時に「そう言えばあの子の頭の形はとても歪んでいた」と思い出したそうです。
「もしもっと早く頭蓋オステオパシーを学べていたら我が子を救えたかもしれない」と思ったのではないでしょうか。
フライマン先生はその体験から、頭蓋オステオパシーで多くのお子様を救おうという強い動機に繋がっていらっしゃったのだろうという事は想像に難くありません。
フライマン先生との思い出
フライマン先生との出会いを考える時、話は1999年に遡らなければなりません。
当時、私は35歳で特別養護老人ホームから都内の心療内科に職場を変えたばかりの頃です。
ある日、Kさんというお母さんが生後10ヶ月のお子さん(M君)を連れて私の治療を受けに来てくれました。
そのお子さんはウェスト症候群と言うてんかん発作を発症していました。自分にとっては初めての乳幼児への施術でした。
そのお子さんの頭は、耳から後ろの部分が完全にフラットになっていて、あるべき後頭部の膨らみがないように感じました。と言うよりむしろ十字型のくぼみが後頭部にあり、頭が中にめり込んでいるようにさえ感じました。
その様な頭の形は見た事もなかったし、正直に言って「こんなに後頭部がめり込んで脳が圧迫を受けたような状態で人間は生きられるのか。何かの拍子で死んでしまうのではないか。」とさえ思いました。
その日、まだまだ自信のない自分が、命が失われる可能性すら感じるお子さんの施術をしなければいけなくなったわけです。
しかし施術を断るわけにもいかず、とにかくソフトに頭に触れ、事故のないように施術しようと心に決め、施術を始めました。
その時が初めての乳幼児への施術でしたし、頭蓋骨の動きなど全く分かりませんでした。
本当に情けない話ですが、その時の自分の気持ちを正直に書きますと、
「自分の未熟な施術で何かヘマをしてこの子の命を断つような事にだけはなりませんように。神様どうか手助けしてください。この子をお救いください。」と祈るような気持ちで施術、約40分ほどの施術を終えました。
施術は無事終わりましたが、良くなったような感触も全くなく、良い方に変化するであろうなどという自信などあるはずもなく、「とにかくソフトに安全重視で施術しました」とお母さんに伝えたと思います。
でも、施術が終わった後もM君の施術後の様子が心配で、これからM君が帰ってからも、何か悪い事が起きませんようにと祈らずにはいられませんでした。
帰りのタクシーの中で生まれて初めて声を出して笑った
私の不安をよそに、Kさんから「帰り道のタクシーの中で、M君が生まれて初めてタクシーの中で声を出して笑ったんですよ」と報告を受けました。
全く信じられないような気持ちでした。何も良い治療などできていなかったと思っていたのですから。
でもKさんは私のオステオパシーに対して良い印象を受けてくださり、積極的に私の施術をM君に受けさせようと思ってくださったんです。
その後数ヶ月間は自信はないながらも施術しましたが、やはり当時の私には無理だと思い、もし可能ならアメリカに行ってオステオパシー・ドクターに見てもらった方が良いとKさんに勧めました。
でも、もし素晴らしいオステオパシー医師に運良く出会ったとしても、M君は最重度の身体障害者として生きる姿を私は想像していました。
本場アメリカのオステオパシーを受け始める
99年の後半から2000年初めの頃だと思うのですが、KさんとM君母子はアメリカに渡りオステオパシードクターの治療を受けに行きました。
その後、約一年の月日が流れていました。それ以降、Kさんから連絡はなく、心に引っかかるものはありながらも連絡を取れずにいました。
しかしある日、突然Kさんから連絡が入りました。
アメリカでフライマン先生という名医と出会い、オステオパシーを受け、良い方向に向かっていると言うのです。
初めは、にわかには信じられませんでした。
フライマン先生の予想は私とは真逆だった
Kさんの説明によると、初めてのフライマン先生の治療が終わり、フライマン先生がKさんに告げた事は、私の悲観的な予測とは全く違うものでした。
フライマン先生はこう言ったそうです。
この子の状態はもっと良くなる。てんかんも治ります。この子は自分で歩けるようになるし、走れるようにもなります。お母さんもついていけないくらいになります。
正直に言って、フライマン先生の言葉は全く信じられませんでした。
あれだけ頭に強い歪みを持ち、重いてんかん発作も持つお子さんが、そんなに良くなるなどと言う事は当時の自分には全く想像もできませんでした。
それどころか、フライマン先生はお母さんを安心させるためにあえて前向きな事を言って安心させようとしているのだろうとさえ思いました。
しかし、私の想像は全て間違っていました。
そして、フライマン先生の言葉が全て正しかった事が後に証明されていきました。
フライマン先生の予想通りに成長していった
その後、M君は3ヶ月間のフライマン先生のオステオパシーを何度も通い、通う度に良くなっていきました。
あまりにも素晴らしいフライマン先生の治療を受け、ついにKさん家族はサンディエゴに引越し、フライマン先生の治療を受け続ける決心をしました。
その後、M君はどうなっていったのか、結論を言いましょう。
本当にM君がここまで良く成長できるとは想像もできませんでした。
命を救うオステオパシー
フライマン先生の素晴らしさと、当時の未熟なレベルの私との違いを理解していただくため、あえて正直に当時私が思っていた事を書きました。
日本でよく言われる「ゴッドハンド」「神の手」とはまさしくフライマン先生のようなレベルの方に使われるべきものです。
オステオパシーは「手で行う医学」ですが、真の神の手レベルになると、いかに素晴らしい事をできるか、ご理解いただけたでしょうか。
私もフライマン先生と出会い、生命を救うオステオパシー医学の素晴らしさを、まさに目の前で見させていただけた事は、本当に幸運でした。
この話を書いている2020年9月の段階でも、フライマン先生の実力には遠く及びません。でも今後さらに時間をかけて、フライマン先生のようなオステオパスを目指していきたいと思っています。